GIRI GIRI BOYS

天野和明(あまのかずあき)
1977年生まれ
明治大学卒
2008年 カランカ北壁(6931m)登頂
 ピオレドール・アジア受賞 2009年  スパンティーク(7027m)ゴールデンピラー英国ルート第2登
 ピオレドール受賞

一村文隆(いちむらふみたか)
1977年生まれ
2008年 アラスカ ベアーズトゥース北東壁初登
 デナリ・アイシスフェース~ランペルート下降~デナリ南壁 継続登攀
 カランカ北壁(6931m) 登頂
 ピオレドール・アジア受賞
2009年 タウチェ北壁(6542m)登頂
 ピオレドール受賞

佐藤祐介(さとうゆうすけ)
1979年生まれ
金沢工業大学卒
2008年 正月黒部横断(鹿島岳~黒部川十字峡横断~剣沢~トサカ尾根~別山~三ノ窓雪渓~剱岳)
 アラスカ ベアーズトゥース北東壁初登
 デナリ・アイシスフェース~ランペルート下降~デナリ南壁 継続登攀
 カランカ北壁(6931m) 登頂
 ピオレドール・アジア受賞
2009年 スパンティーク(7027m)ゴールデンピラー英国ルート第2登
 ピオレドール受賞
2010年 城ヶ崎「マーズ」(5.14a)第2登

「ヒマラヤ アルパインスタイル 苦しみの芸術」4

雪崩で死を覚悟した

天野:皆さんも僕たちがスパンティークで雪崩に遭ったというのはご存じだと思います。高度順応をしている時でしたが、ぼくが先頭でラッセルして、祐介、一村という順番でした。雪崩に合って、ぼくは50mぐらい流されて滑落停止、祐介は反対側に流されて、崖ぎりぎりで滑落停止。

佐藤:崖ぎりぎりじゃないけれど、ぼくが止まったところから一気に傾斜が変わって、その先は数百メートル垂直に近いような壁があるというところで、なんとかピッケルで滑落停止しました。雪が柔らかいので止まらないのですが諦めずに何度も何度もやって、やっと止まったという感じです。

天野:ストックでも行ける傾斜なんですが、ストックだったら滑落停止できずに死んていたかも。学生時代、山岳部の先輩にピッケルは岳人の魂だ、魂込めて使えと言われていたのですが、魂込めて良かったです。雪崩がおさまって自分が大丈夫だと分かって、他の二人を探しました。そうしたら祐介が立ち上がっていてああ、良かったと。そしてイッチーを探したのですが見当たらない。大声で呼んだけど返事がない。どこか埋まっているのではないかと斜面を急いで下りました。1kmぐらいの距離を下る間、まったく彼の姿が見つからなかったので、これは終わったかと覚悟しました。カーブを曲がったら膨大なデブリの先に一村が動いているのが見えて、ああ、助かったと。一村は標高差で600mぐらい流されてました。

一村:ぼくだけずっと転がっていきました。最初ローリングで横に転がって崖を3カ所ぐらい飛んだ記憶があります。その時ヘルメットかぶってなくて、たぶん露岩にぶつかって死ぬんだろうなと思ってました。その後、たまたま尻セードみたいな感じで起き上がることができて、だんだんスピードが落ちてきて、たぶん骨折はするだろうけど死ぬことはないだろうなと楽観的な気持ちになり、最後、デブリ手前の4mの崖をダイブして止まりました。今から思うとやばかったですが。

天野:今回、衛星電話を持っていたんです。山の中に持ち込むのはフェアじゃないなと思って、ベースキャンプに置いてたんですが、もしも一村が瀕死の状態で一刻を争う状態であれば、衛星電話あった方が良かったですね。この後、ベースキャンプに戻ったのですが、やはり精神的なショックが大きかったです。雪が落ち着くのを待って雪崩は大丈夫だと判断して出たのに、その兆候に気がつかなくて。学生時代に一緒に山行った山岳部の先輩と後輩が雪崩で死んでいて、自分は絶対雪崩では死ぬまいと思っていたのに同じ事をやってしまった。それがショックでした。ベースキャンプにもどって、飯食いながら、誰も言い出さないけど、なんかこれでもう帰ってもいいんじゃないという雰囲気になってました。

佐藤:ぼくは流されたときに膝の靱帯を切ってしまって、翌朝からはぜんぜん歩けない状態になってしまいました。一村が一番流されてケガが酷いようだったのですが、ぼくはもう尋常じゃない痛さで、二人には俺のペースには合わせずにしてくれと。

一村:ぼくは足とか腰とか、あちこち打撲して普通に歩けない状態でした。祐介が欠けるのは痛いけど、下山できるかなと嫌らしいことを考えていたけど(笑 11年間暖めてきた想いをこんなところでヤメにするのは許せなかったので、ここで止めようとは言えなかったです。

天野:でも、ロストアローのサイトに書いてあったけれど、ここで一時帰国か、なんてあったじゃないですか。

一村:昔のことはすぐ忘れることにしているので(笑

天野:ぼくも止めるには充分な理由だと思いました。ただ、行動初日だったので、後ろに時間はたっぷりあり、計画を立て直す余裕はありました。ぼくも止めるかとは言わなかったけれど、止めてもいいんじゃないかというのはあった反面、しばらく経てばまた登りたくなるだろうなというのも分かっていたので、少し様子を見て、より安全な状態になって再度挑戦しようということになりました。

天野:最終的に取り付いて、途中お座りビバークをして二日目、天気が良ければ出発しようとしたら天気が悪い。スノーシャワーが酷かったですね。その時は降りようという選択肢は無かったのでしょうか。

佐藤:知っているくせに(笑 4ピッチか5ピッチ登ったところでどんどん天気が悪くなってきて、スノーシャワーがひどくて、このままだと下降もままならないなと。ここで下ったらまた雪崩ちゃうなと。ぼくが天野さんに、これはけっこうヤバイなと。それで降りようかという話になったんです。

天野:ぼくはヒマラヤ登山ということでは3人の中で一番経験があって、止める方向の話もあるから提案してもいいかなと思ったんですが、誰も言い出さないで突っ込んでしまうのもまずいかと。ただ、具体的には言わなかったです。

佐藤:あれ、天野さんが言い出したんだっけ? ぼくが言い出したような気がするんだけど。

天野:でも、言った次の瞬間に登りだしていたじゃない(笑

佐藤:イッチーがリードしていて、彼に撤退を伝えようとビレイポイントまであがったら、そこは何となくビバークできそうで、なんとなく天気も回復しそうに思えてきて、さらに何となく上の方にはリッジも見えるような気がしてきて、まぁ、ガスでよく分からなかったけど。それで二人で話して、天野さんには悪いけれど登り始めてしまったんです。

天野:結果的には良かったんですが、結果論で言っているといつか死んでしまうので、話すべき時は話すべきだなと。

佐藤:アルパインクライミングやってて、天気悪いから帰ろうかというのを言い出しっぺになりたくないというのはあるじゃないですか。そういう葛藤にとらわれるのは非常に良くない。言うべきことは言えばいいと。ぼくは3人の中では言うほうなんですが。一村はまったく言いません。自分から絶対に言い出さずに、そろそろやべえなぁというと、ああそうだなと。かなりずるいですね(笑

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