スパンティーク登山隊が無事に登頂・帰国

PowerNaviがサポートしているGIRI GIRI BOYS スパンティーク登山隊2009(一村 文隆・佐藤 裕介・天野 和明)は、パキスタンカラコルムヒマラヤ北部・ソスブン山郡スパンティーク (7,027m) 北西壁 Golden Pillar初登ラインの無酸素アルパインスタイルによる登攀に無事成功し、帰国しました。
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当初は北東壁の初登をを狙っていましたが、偵察の結果、危険度が高すぎるために初登ラインへ変更。ベースキャンプでの順応訓練中に雪崩に遭い、ケガするなどトラブルも発生しましたが、無事に3名全員で登頂に成功しました。
以下に佐藤さんからのメールを紹介します。

6月20日 BC入り直後の大雪を経て、順応活動開始。南西リッジを登行中に尾根上で雪崩発生。佐藤・天野は50m程流されつつピッケルストップでなんとか停止。佐藤はあと5m流されていれば、数百mの壁から落ちるところだった。一村は、ルンゼの中を氷河まで流される。なんと標高差500m。一村は全身の打ち身。佐藤は膝の側副靭帯を痛めた。BCに戻るが、佐藤の怪我が最も酷く翌日には痛みが酷くなり歩行困難な状態。
6月24〜25日 天候も安定したので、順応活動を再開。雪崩にあった南西リッジにすぐ取り付くのは気が引け、対岸の小ピークで最初の順化とした(5500mまで)。佐藤も、完治には程遠かったが一応ついて行く。
6月28〜30日 南西リッジへ再度順応活動。上部のブラックアイスが想像以上に厄介だった。プラトー手前6200mで2泊する予定だったが、天候悪化の為、1泊で下山。あとは、天候と体調が整うのを待ってトライとなる。
7月9〜13日 5日間 ゴールデンピラー 初登ライン 2000m 26ピッチ 当初、狙っていた北東壁はセラックによる危険が大きく偵察段階で初登ラインへの変更をした。1987年の有名な初登攀から20年以上経った今でも十分に困難な登攀を要求し、改めて初登者達の偉大さを感じさせられました。ちなみにこのラインの再登は2000 年のマルコプレゼリ達に続く第3登(北西壁は第4登)になると思われます。
1日目 晴れ 0:00〜22:00
BCを0時に出発し夜間行動で、アプローチと下部ガリー〜雪稜の登攀をこなす。
初登ラインの左から取り付く。プロテクションの乏しい難しいスラブを含む7ピッチをこなし、中央のガリーへと斜め懸垂。なんとか見つけた雪の小リッジを切ってお座りビバーク。靴も脱げずシュラフ無しの寒い夜。就寝は24時をまわる長い1日で夕食を採る余裕も無かった。
2日目 雪 8:00〜18:00
日の出の時間帯は、青空だったが登攀開始する頃には絶え間無い降雪。スノーシャワーがみるみる酷くなり、雪崩のような状態になりつつあった。4ピッチ伸ばす頃には非常に危険な状況に追い詰められつつあって真剣に敗退を考えなければならなかったが、良さそうなビバーク地の見通しと天候の回復によりなんとか登攀を続行する事ができた。登攀はどのピッチも油断できないテクニカルでプロテクションはあまりとれないクライミングだった。部分的に岩は脆い。今夜は、壁の中で唯一安定した場所でのビバークだ。
3日目 晴れ6:30〜27:30(翌3:30)
再び、長い1日。上部ランペに続く難しい部分をこなして頂上台地が迫ってきたが、暗闇の中、最後まで厳しい登攀が続きあと1ピッチ半でテントが張れる台地と言う所で、行き詰る。ヘッドライトの光で登攀するには難しすぎ、傾斜の強いビレイ点でスタンディングビバーク。もう、夜中の3時半をまわり、全員疲れきっていた。意識朦朧とする中、水つくりとしているとコンロを落とし、以後水無しでの行動となる。6500mを越え7000mに向かおうとしているのに、あまりに大きな痛手であった。
4日目 晴れ後ガス6:30〜15:00
明るくなってから再トライ。2ピッチを登り頂上台地へ到着した。空身になって、結構遠い頂上を往復し下山に移るがガスが掛かりルートが判然としない。仕方が無く頂上台地でビバーク。ライター3個を壊しながら100m?の水を作った。α米を生でボリボリ食べて寝る。翌朝はネバネバの上唇と下唇がくっ付いてしまい、口を開くのに時間が掛かった。
5日目 曇り6:00〜19:00
南西リッジより下山。順応を兼ねてこの尾根を偵察できて良かった。初見ではかなり下り難い尾根だった。上部で8ピッチほど懸垂下降。丸2日間水を口にしておらず非常に体が重かった。氷河におり飲んだ水が最高だったのは言うまでもない。


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