Team PowerNavi 小野心インタビュー

 

1週間で5kgの減量、ボクサーの過酷なトレーニング 5

14歳でボクサーになる

小野選手がボクシングを始めたのは中学3年の春だった。以前からボクシングや格闘技が好きで、テレビの放映をずっと見ていた。

「きっかけは映画『ロッキー』だったかも」

あこがれのボクサーは「浪速のジョー」こと辰吉丈一郎だった。14歳の小野少年は自宅近く、横浜線鴨居駅にある花形ジムの門戸を叩き、ボクシングの道に踏み込んだ。そして17歳の時に念願のプロライセンスを獲得し、2001年2月2日デビュー。だが、それからが長かった。なかなか試合で勝てない。

2011年の年末、小野選手は一大決心をした。16年間世話になっていた花形ジムを離れ、ワタナベジムへと移籍したのだ。ボクサーにとって所属ジムは家族のようなもの。移籍は大事件だ。「花形ジムに不満はありません。でも、ここで何か変えないと更に上へは行けないのではないかと決断しました」。

小野心
桜井康弘を下し,世界ランカー入り
移籍の結果はすぐに現れた。2012年4月22日、WBCミニマム級王者熊朝忠(ユウ・チョウチュウ)を3-0で倒し、いきなり国内ランク一桁にのし上がってきた。7月16日には桜井康弘(レパード五熊)を3-0の判定で下し、WBC世界ライトフライ級8位へ。いよいよ世界王者が見えてきた。

横浜の花形ジムから五反田のワタナベジムへ。実家を離れ、それまでの仕事も辞めた。ジムに近いアパートを借りて一人暮らしを始め、飲食店でのアルバイトという身分になった。生活は不安定で厳しいが、ハングリーな状況に追い込んで自らを高めようとするのか。そして今年の1月12日、後楽園ホールで開催された東洋太平洋ライトフライ級王座決定戦で東洋太平洋同級2位のオマリ・キムウェリ(オーストラリア)を下し、東洋太平洋王者の座を掴んだ。

東洋太平洋王者になれば、この先は世界しかない。「来年ぐらいには世界王者に挑戦したいですね」。もちろん、東洋太平洋であってもチャンピオンとなれば防衛も必要だ。「挑戦者が決まっているので、彼の試合のビデオを見ていろいろ分析もやっています」と、普段の研究も欠かさない。

遅咲きの東洋太平洋王者小野心、きっとその先には世界王者のベルトが待っていることだろう。PowerNaviでは彼の挑戦を応援し続ける。

※このインタビューの後、小野選手は東洋太平洋ライトフライ級のチャンピオンベルトを返上した。左手親指のケガが長引き、王者に義務付けられている3か月以内の防衛戦に応じられなかったため。手術とリハビリによって親指は回復し、10月16日には後楽園ホールで開催された「チャレンジスピリットシリーズ 世界前哨戦」で守屋和明(石川ジム立川)を判定で下し、復帰第一戦を飾った。

小野心
復帰第一戦を勝利でスタートした
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