野口さんがクライミングと出会ったのは小学校5年の夏。家族旅行でグアムを訪れたとき、たまたま寄ったゲームセンターにクライミングを楽しめる壁があったのがきっかけだったという。これでクライミングの楽しさにはまってしまう。帰国して調べたところ、自宅近くのつくば市にPUMPスポーレクライミングジムがオープンしたばかりで、さっそく通うようになる。
最初はキッズクラスでボルダリングやリードの基礎から習い始めたのだが、めきめきと上達し、各地の競技会にも出場するようになった。
「特定のスポーツに打ち込んだことはなかったですが、もともと運動ならなんでも好きで、得意でした。勉強はあまり好きじゃなかったけど」
という野口さんはクライミングの素質もあったのだろう。
小学6年生の終わりにはユース選手権で中高生を押しのけて優勝。天才少女登場と話題になる。
中学に入ったその夏にはジャパンツアーで大人に混じって3位入賞、中学2年生ではB-Sessionで年間チャンピオンとなり、高校1年ではリード・ジャパンカップで優勝という成績を収めている。それでも中学2年ぐらいまでは本当に趣味でクライミングを楽しむ程度で、週に1回ジムに行くぐらいだったという。
野口さんが初めて出た国際大会は05年、リードの世界選手権だった。そこで3位入賞するのだが、それ以降、スランプに陥ることにもなった。
「いきなり3位入賞して、自分でも驚きました。あれは本当にラッキーでしたね。そのときはすごく練習していて、右肩上がりに実力が伸びていたし、たまたま課題の傾向が自分の得意系で相性がぴったり合ったのです。準決勝はぎりぎり8位通過でしたが、決勝は余裕の3位でした。でも、それ以降はリードではずっと決勝に残れなかったのですよ。一発当てたのはいいけれど、後はずっと10位から15位ぐらいをウロウロしていました。それが16歳のときで、今年、19歳になるまで決勝に進めませんでした」
とつらかった時期を振り返る。
でも、多くの優れたアスリートたちと同様、野口さんもつらさをバネにして伸びてきている。
「調子が良いのに成績が悪いとへこみますが、その分次はがんばろうという気になりますし、いろいろ勉強になるし、得る物もすごく多いです」
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